第四話
また明日
「HINATAちゃん、牛乳持てる?」
「何本買ったの?」
「四本」
「四本?」
「安かった」
大森駅の前。
YUMEはコンビニの袋を両手で持っていた。
中には牛乳が四本。
「重いでしょ」
「ちょっと」
「一本持つよ」
「大丈夫だよ?」
「いいから」
袋から一本取る。
「ありがとう」
「なんで四本も買ったの」
「飲むから」
「それは分かるけど」
「安かったし」
「重いのに?」
YUMEが少し考える。
「……でも安かった」
「そこは譲らないんだ」
「うん」
よく分からない。
でも、
こういう話をすることにも、
いつの間にか慣れていた。
*
あの日から、
大森駅の前でYUMEと話すことが増えた。
最初は、
歌を聴く。
終わったら少し話す。
それだけだった。
それがいつの間にか、
わたしを見つけると、
「HINATAちゃーん」
と呼ばれるようになった。
「今日ね」
から始まる話は、
だいたい音楽とは関係ない。
スーパーで卵が安かった。
洗濯した日に雨が降った。
駅前で猫を見た。
新しい飲み物を買ったけど、
思っていた味と違った。
バイトで変なことがあった。
そんな話。
「それでね」
「うん」
「結局買わなかった」
「そこまで聞いて買わなかったの?」
「うん」
「じゃあなんの話だったの」
「今日あったこと」
「……そっか」
「うん」
YUMEは満足そうだった。
たぶん、
話に結論なんていらないんだと思う。
*
もちろん、
音楽の話もした。
YUMEは歌う。
わたしは聴く。
知らない曲が増えていった。
それがYUMEの曲だということも、
もう知っている。
ある日、
YUMEが黒いノートを開いた。
「HINATAちゃん」
「ん?」
「これ、どっちがいいと思う?」
「なにが?」
「ここ」
二つの言葉が並んでいる。
「わたしに聞くの?」
「うん」
「YUMEは?」
「どっちも好き」
「じゃあ決められないじゃん」
「だから聞いてる」
少し考える。
「わたしはこっち」
指を差す。
「なんで?」
「そっちの方が、今まで聴いたYUMEの歌に合う気がする」
「ふーん」
YUMEはしばらくノートを見る。
「そっか」
「決めた?」
「まだ」
「まだなんだ」
「もうちょっと考える」
ノートを閉じる。
数日後。
その曲をまた聴いた。
あの日、
わたしが指を差した方の言葉が残っていた。
何も言わなかった。
YUMEも、
何も言わなかった。
ただ、
ちゃんと自分で決めたんだと思った。
*
ある日は、
何も話さなかった。
YUMEが歌い終わって、
わたしが隣に座った。
YUMEも座った。
それだけ。
駅前を人が通っていく。
電車が着く。
人が増える。
減る。
また増える。
YUMEは黒いノートに何かを書いていた。
わたしはスマホを見ていた。
しばらくして、
「HINATAちゃん」
「ん?」
「これ見て」
ノートを少し向けられる。
短い言葉が書いてある。
「なにこれ」
「今思った」
「歌?」
「まだわかんない」
「ふーん」
また静かになる。
気まずくはなかった。
無理に話す必要もない。
YUMEは書く。
わたしは隣にいる。
それでよかった。
*
「ねえ、HINATAちゃん」
「なに?」
「これどうやるの?」
スマホを渡される。
「これ?」
「うん」
「ここ押して」
「これ?」
「そう」
YUMEが押す。
「次は?」
「そのまま下」
「これか」
「うん」
少し触ってから、
「あ、できた」
「でしょ」
「ありがとう」
スマホを受け取る。
少しして、
「また分かんなくなったら聞いていい?」
「いいよ」
「やった」
そんなことで、
少し嬉しそうにする。
それから、
YUMEが何か分からないことがあると、
たまにわたしへ聞くようになった。
*
ある日。
YUMEの歌が終わったあと、
わたしは言った。
「今日、ちょっと違った」
「え?」
「二曲目」
YUMEがこっちを見る。
「変だった?」
「変っていうか」
少し考える。
「言葉が聞こえにくかった」
「言葉?」
「うん」
「なんか、歌おうとしすぎてた気がする」
YUMEは黙った。
言いすぎたかな。
ほんの少しだけ、
そう思った。
でも、
YUMEはギターを持ち直した。
「もう一回やっていい?」
「今?」
「うん」
「いいよ」
「聴いてて」
「わかった」
もう一度歌う。
今度は、
さっきより言葉が聞こえた。
曲が終わる。
「どう?」
「今の方が好き」
YUMEは少し考えて、
「わたしも」
と言った。
それだけだった。
*
いつからだったかは、
よく覚えていない。
約束をしなくても、
大森駅前へ行けばYUMEがいる。
いなければ、
連絡する。
『今日いる?』
『いるよー』
『今どこ?』
『駅』
『どっち側』
少しして。
『たぶんいつもの方』
『そこにいて』
『はーい』
そんなやり取りが、
普通になった。
YUMEの歌を聴くことも。
黒いノートの言葉を少し見せられることも。
どうでもいい話をすることも。
何かを頼まれることも。
何も話さないことも。
気づけば、
全部、
普通になっていた。
まだ、
バンドの話なんてしていない。
KANAのことも。
RINOのことも。
YUMEには話していない。
大森駅前で歌う子と、
それを聴いていたわたし。
最初は、
それだけだった。
でも今は、
駅前に行けば、
たぶん会う。
会えば、
たぶん話す。
話さなくても、
そのまま一緒にいる。
そんな相手になっていた。
「HINATAちゃん」
「なに?」
「明日も来る?」
「たぶん」
「じゃあ、また明日」
「うん」
YUMEが白いギターをケースにしまう。
黒いノートも入れる。
「またね」
「またね」
それぞれの方向へ歩き出す。
そして次の日になれば、
また会う。
そんな日が、
しばらく続いた。