第六話

初スタジオ

「早くない?」

スタジオの前に着いた時、

最初に出た言葉がそれだった。

「そう?」

YUMEはもういた。

予約時間までは、

まだ少しある。

白いギターケース。

黒いノート。

いつものYUME。

ただ、

今日は大森駅前じゃない。

「いつからいるの?」

「ちょっと前」

「早かったね」

「楽しみだったから」

「緊張してる?」

「してない」

「ほんと?」

「楽しみ」

即答だった。

「HINATAちゃんは?」

「してない」

「ほんと?」

「してないって」

「ふーん」

「なに」

「ちょっとしてそう」

「うるさい」

していた。

少しだけ。

*

先に来たのはKANAだった。

ギターケースを持って、

こっちへ歩いてくる。

「おはよう」

「おはよ」

KANAがYUMEを見る。

YUMEもKANAを見る。

「この子?」

「うん」

「YUME」

「KANA」

「よろしく」

「よろしく」

少し間が空いた。

YUMEの視線が、

KANAのギターケースへ落ちる。

「ギター?」

「うん」

「見ていい?」

「いいよ」

KANAがケースを開く。

YUMEが少しかがむ。

「……わ」

それだけ言って、

じっと見る。

KANAも何も言わない。

「これ、どんな音?」

「弾いてみる?」

「いいの?」

「うん」

「弾きたい」

「まだ中入れないよ」

わたしが言う。

「あ、そっか」

YUMEが立ち上がる。

KANAもケースを閉じた。

初対面なのに、

会話より先に、

ギターの話になった。

*

「おはよー!」

少し離れたところから声がした。

RINOだった。

「間に合った!」

「まだ余裕あるよ」

「じゃあ完璧じゃん」

「普通でしょ」

「もっと褒めてよ」

「嫌」

「ひど!」

RINOが笑う。

それから、

YUMEとKANAを見る。

「この二人?」

「うん」

「KANA」

「よろしく」

「よろしく!」

次にYUMEを見る。

「YUME?」

「うん」

「RINO。ドラム」

「よろしく」

「よろしくー」

YUMEが少しだけ笑う。

「今日、YUMEの曲やるんでしょ?」

「うん」

「楽しみ」

「わたしも」

さっきより、

YUMEの声が少し大きくなった。

KANAは二人を見ている。

わたしは、

ほんの少しだけ安心した。

*

スタジオに入る。

それぞれが、

自分の場所へ向かった。

RINOはドラムの前に座る。

確認。

調整。

一つずつ音を出す。

KANAはアンプを繋ぐ。

エフェクターを並べる。

チューニングする。

わたしもベースを繋いだ。

YUMEは、

マイクとアンプの間で少し止まっていた。

「HINATAちゃん」

「なに?」

「ここでいい?」

「歌いやすい?」

「たぶん」

「じゃあそこでいいんじゃない?」

「ギター近すぎない?」

「音出してから考えればいいよ」

「そっか」

RINOが軽くドラムを鳴らす。

「一回やったら分かるよ」

「うん」

YUMEが白いギターを構えた。

*

「曲、聴かせて」

KANAが言った。

YUMEが頷く。

「一回、わたしだけでやる?」

「うん」

黒いノートを足元に置く。

わたしたちは、

まだ何も鳴らさない。

YUMEだけ。

白いギター。

声。

大森駅前で、

何度も聴いた音。

でも、

スタジオで聴くと少し違った。

壁に返る。

天井に返る。

狭い部屋の中に、

YUMEの言葉が残る。

曲が終わった。

「こんな感じ」

すぐにRINOがスティックを持ち直す。

でも、

KANAだけは動かなかった。

ギターを持ったまま、

少しだけ黙っている。

「KANA?」

わたしが呼ぶ。

「ん」

「どうした?」

KANAはYUMEを見る。

「もう一回、最初だけいい?」

「最初?」

「うん」

YUMEがもう一度、

ギターを鳴らす。

最初の数小節。

歌が始まる。

KANAは弾かない。

じっと聴いている。

「ここ」

曲を止めたあと、

KANAが言った。

「言葉、どこまで残したい?」

YUMEが少し考える。

「全部」

「全部?」

「うん」

KANAはもう一度、

さっきの場所を思い返すみたいに黙った。

それから、

「わかった」

と言った。

RINOがスティックを持ち直す。

「今度、入っていい?」

「うん」

KANAもギターを構える。

わたしもベースを持った。

「何やる?」

YUMEが聞く。

「とりあえず一回やってみよ」

RINOが言う。

KANAも頷いた。

まだ、

ほとんど何も決まっていない。

それでも、

RINOがスティックを上げた。

「いくよ?」

カウント。

*

ぐちゃぐちゃだった。

一回目は、

本当に。

YUMEのテンポが少し揺れる。

わたしも合わせきれない。

RINOも探りながら叩いている。

KANAのギターも、

まだ曲の中で場所を探している。

途中で止まった。

「ごめん」

YUMEが言う。

「今、わたし?」

KANAが首を振る。

「全員」

「全員?」

「合ってない」

「そりゃそうでしょ」

RINOが笑う。

「初めてだよ?」

少し空気が緩む。

KANAはもうギターを持ち直していた。

「もう一回」

「やる?」

YUMEが聞く。

「やる」

「やろ」

RINOも頷く。

わたしもベースを構え直した。

もう一度。

*

二回目は、

ほんの少しだけましだった。

途中で、

KANAのギターが変わった。

さっきまでなかった音。

YUMEが一瞬、

KANAを見る。

でも、

歌は止めない。

その音を聞いて、

RINOの叩き方も少し変わる。

わたしも、

弾き方を少し変えた。

YUMEの声が、

一瞬だけ前に出た。

ほんの一瞬。

四人の音が、

同じ場所へ寄った。

そんな感じがした。

でも、

すぐに崩れた。

曲が終わる。

少しだけ静かになる。

YUMEがKANAを見る。

「今のギター」

「ん」

「好き」

「そう」

「もう一回やって」

「いいよ」

RINOが、

「その前にさ」

と言った。

「ここ、ちょっと変えていい?」

「どこ?」

YUMEが黒いノートを開く。

RINOが、

曲の流れを指で追う。

「ここ、このまま行くより、一回減らしたくない?」

「減らす?」

「うん。次の言葉、もっと出そう」

「やってみる?」

「やろ」

KANAが短く音を鳴らす。

「その前、空けてもいいかも」

「どこ?」

「ここ」

「HINATAは?」

少し考える。

「今の方が、言葉は聞こえそう」

「じゃあ一回それで」

YUMEが言った。

やってみる。

違う。

戻す。

また変える。

KANAが別の音を置く。

RINOが拾う。

わたしが、

「そこ、ちょっと多いかも」

と言う。

YUMEが、

「じゃあ減らしたい」

と言う。

また鳴らす。

「今の好き」

YUMEが言う。

「もう一回」

誰か一人が、

全部を決めているわけじゃない。

ただ、

誰かが変えた音を、

残りの三人が聞いている。

それを、

また音で返す。

少しずつ、

曲が変わっていった。

*

何回目だったか。

RINOがスティックを上げる。

KANAを見る。

わたしを見る。

YUMEを見る。

カウント。

始まる。

今度は、

最初から少し違った。

YUMEの歌。

わたしのベース。

KANAのギター。

RINOのドラム。

四つある。

でも、

最初みたいに、

四つが別々に鳴っていない。

YUMEが歌う。

その後ろで、

KANAのギターが鳴る。

下に、

わたしのベースがいる。

RINOのドラムが、

その全部を押し出す。

音が増えている。

なのに。

YUMEの言葉は、

一人で歌っていた時より、

近く聞こえた。

その瞬間、

少しだけ分かった気がした。

第五話の夜に、

一度だけ聴いてみたいと思った音。

たぶん、

これだ。

曲が終わる。

最後の音が消える。

「……」

誰もすぐには喋らなかった。

YUMEが、

ゆっくり顔を上げる。

「ねえ」

「なに?」

「もう一回やろ」

RINOがすぐに笑った。

「やろ!」

それから、

少し身を乗り出す。

「ていうかさ」

「なに?」

「これ、またやるよね?」

わたしがRINOを見る。

「今日だけじゃなくて?」

「うん」

RINOは迷わなかった。

「RINO、またこの四人でやりたい」

一瞬だけ、

誰も答えなかった。

RINOは気にせず続ける。

「なんかさ」

スティックを軽く鳴らす。

「ここ、絶対もっと楽しくなるじゃん」

「まだ一曲しかやってないよ」

わたしが言う。

「だからじゃん」

「どういうこと?」

「もっとやったら分かるでしょ」

RINOが笑う。

「RINO、ここにいたい」

それだけ言って、

もう一度スティックを構えた。

バンドを組もうとも。

メンバーにしてとも。

まだ言わない。

でも。

いつものサポートとは違う。

それくらいは、

わたしにも分かった。

KANAは、

もうギターを構えている。

YUMEも笑っていた。

わたしも、

ベースを持ち直す。

「最初から?」

「最初から」

YUMEが言う。

RINOがスティックを上げる。

まだ、

バンドじゃない。

名前もない。

次にどうするかも、

何も決まっていない。

ただ、

四人で一曲を鳴らしているだけ。

それでも。

RINOは、

またこの四人でやりたいと言った。

YUMEも、

もう一回やろうと言った。

KANAは、

何も言わずにもうギターを構えている。

カウントが始まる直前、

わたしは思った。

これ、

一回だけじゃ、

終わらないかもしれない。